新しいダイアリー(5)

北海道コンサドーレ札幌と釣り

北海道マラソン2024スーパーギリギリ完走〜でもここに残留するわけにはいかないんで〜

8/14

時は北海道マラソン11日前に遡る。

あと一本15キロをやっておきたかった私は、8/17(土)に15キロ、翌8/18(日)に7-8キロをおこない、中6日を完全休養して大会に臨むつもりであった。

しかしこの8/14の夜、37.3℃あるのである。おかしい。

8/15

翌日夕方である。39.7℃に達した。カロナールを投入しても38.3℃程度だ。

もちろんテレワークだったが、家族の帰宅前に周到に準備し、家族から自分を完全隔離して、あとは神に祈るだけだ。

飛行機に乗るのは8/23なので、8/18には寛解していなければDNSだろう。

8/16

神への祈りは通じた。

夜は鳥栖に勝ち(見てないが)、熱が36度台まで下がったのだ。2泊3日で寛解し、咳も全く出なかったことから、新型コロナウイルスではなかったのかもしれない。

8/17

すっかり元気に隔離生活を送った。DQ1をクリアした。

8/18

朝、家族が外出するので、自分も部屋を出て徘徊できる(もちろん窓を全開にして、強力に換気を行ったうえで)。色々準備してスロージョグを試みた。

しかしこれが、超スロージョグになってしまう。

体力は戻っていないし、体が動き方を忘れているかのようだ。

フィジカルは6割、スキルは4割程度失ってしまったようなイメージだ。

だが嘆いてもしょうがない。作戦を立てよう。

科学の力でどう走り切るか?2024道マラ戦略 - 新しいダイアリー(5)

8/19~22

とにかく体力回復だ。全く練習せず、スクワットとストレッチだけして過ごした。

8/23

寛解後1週間たったとみて、予定通り新千歳行きに搭乗。空港でやす子さんに遭遇した。物凄くファンサービスが良かった。その人の好さゆえのフワカスのやっかみだったのだろう。

夜は串鳥平岸駅前店にてノンアルコール・イエスカーボン。

8/24

豊平川にて、キロ7分の走り方を確認。昼はびっくりドンキーでカーボローディング。実家の布団がせんべい、かつ1枚だけで前夜よく寝られなかったという有様だったので、敷布団を買った。22時就寝(ちょっと遅いか)。

8/25 本番

4時半くらい起床。

教えに従い、朝はセコマでおにぎり(ベーコンおかか)、バナナ、カステラ(カステーラだが)。

7時40分着を目指して大通公園へ向かう。7時35分着。

8時には着列。自分の弱点は足首と見ていた(結果は違った)ので、ずっと足首ストレッチして待つ。

8:30、第1ウェーブがスタート。

8:45、ついに第2ウェーブがスタート。旅が始まる。

0-3km 殺伐

この規模の大会に出たことはもちろんないのだが、無理やり抜き去ったり、コーナーでショートカット(失格ではないのか?)したりして、無茶に前に出ようという輩がこうも多いのかとショックを受けた。実際目の前で転倒を目撃した(巻き込まれなかったのが幸い)。2万人のマラソン大会っていうのは、多くの人にとって順位を目指すものではないと思うのだが、そうではないのか?

2kmの給水は予定通りスキップ。持ち込んだ500mlはまだ350mlほど残っている。

3-7km ホームofホーム

実家のある区域だ。ここはホーム中のホーム。

中の島神社付近、北海学園付近は自分専用の沿道応援がいる!

5km関門とその後の給水は予定通り行った。体の異変もない。

このままならサブ5もいけるのでは・・・?

7-15km 計算通り!

馴染みがある地域だが、車で通るばかりで、歩いたこともそんなにない区域だ。

だが、下りが多かったり、ミストシャワーがあったりして、定期的にゲージが回復する。10kmで第1ジェルを使う(第8まである)。

手元の時計によると6分台後半のペースは刻めているようだし、新川通は抑えていける・・・そう思っていた。

15-20km 異変

16kmほどで最初の異変が訪れた。

左の足底筋が攣り始めている。おかしい。いろいろなYouTubeを見たが、この手のトラブルは30km以降に発生するのではなかったか?

そして事件が・・・17.5kmほどで地面の割れ目にハマって転倒(つんのめり、手をつくくらい)してしまったのだ。

この転倒で負傷したわけではないが、妙な力がかかったせいで、この後おかしくなっていく・・・

20-25km 死の恐怖

新川通に出て最初の登りか?ついに「走り」が止まってしまった。両足の足底筋が攣ったのである。

スライド区間で知り合いを探す余裕もない。走って、攣って、歩いてを繰り返すが・・・そうなるのは30kmからの予定だった。10km早い。

20km地点では関門から約20分の余裕を持っていた。25km地点、前田森林公園では残16分になっている。このまま4分ずつ使っていけばゴールまではたどり着けるはずだが、既に脚の付け根も攣り始めていた。ジェルは8個中7個使ってしまった(食欲の鬼か)。

前田森林公園はもっと楽しみたかった。DAKARAを1杯飲み、両ポケットに雪玉を詰めて、早々に公園を立ち去るしかなかった。

25-30km 仲間の声

折り返し直後、栄養不足なのか、前週の発熱ダメージなのか、予定外の晴天のせいか、完全に限界が来た。走ると即ふくらはぎが攣るのである。両足が同時に浮かないように、大股で早歩きしていくしかなかった。

そんなところに、コンサドーレユニラン部が私設エイドを出してくれていた。

私はコンサドーレユニラン部に1円も拠出していないし、6月初旬の東京V戦を最後にそもそも試合を見ていない(見ないようにしている、が正しい)存在なのだが、すがるような思いで「すいません!助けてください!」と駆け寄った。

凍ったアクエリをいただいた。神は助けを求めるものに助けをくださるのだ。人は勝手に助かるのではない。求めて、助かるのだ。

「すみませんが、私はいつまでもここに残留するわけにはいきませんので!」と、コンサドーレユニラン部をあとにする。

7.5分ペースで数百m走り、攣って、走った倍は歩き・・・を繰り返す。まだ札幌駅のビル群は、遠くに微かに見える程度だ。

30-40km 死の行軍

29.8km通過時の貯金は12.5分だった。35kmまではキロ8分ペースでいかなければならないので、キロ10分で歩くと35kmはクリアできても40kmは間に合わないだろう。

キロ9分半でいければ・・・これは完全に「走って」いないが、高度な集中を要する「歩き」だ。

腕を振ってピッチを維持し、大股に開いてストライドをとり、ワンペースを完全に維持して9:20/kmくらいになると手元の時計が語っていた。それをやる。

たまに、8分台になるように「走って」みる。数十歩で攣る。「歩き」が10分台になってしまう。そこで走るのは諦める。これを繰り返して、35km通過の貯金は3分46秒になっていた。いよいよ終わりか。

しかし、阿萬香織さんの存在が大きかった。

阿萬さんはコース脇に立ち「次の関門は14時20分!キロ10分でいけば間に合います!」と声を張ってくれる。そしていつの間にかまた我々を爆速で抜き去り、別の地点で「今のペースなら大丈夫!」と叫んでくれる。

38kmくらいにある補給はもう閉店の雰囲気だったので省略した。水分とかの問題ではないし、とにかく少しでもペースを落とすと40kmが閉まってしまう。無心で経済コースを歩いた。

北大の門の写真を撮りたかったがそんな時間はない。

脇に立つジジイが「走らないと間に合わないぞ!」と叫ぶ。お前は計算ができないのか?来年の大会までにあの世に行っててくれよな。俺は阿萬さんしか信じない。

すると、果たして、40kmの関門は開いていた。貯金は2分20秒だ。

40-42.195km 帰還

ここからは普通に歩いても間に合う。でもせっかくだから、この9:20/kmを維持して最後まで行こうではないか。

最後時計を止めるのを忘れて余計な時間を食っているが、5:53:05で見事に生還を果たした。内容ではない。勝ちが必要だ。そして勝ったのだ。

普段アイスを買うときにぶどうアイスは絶対選ばないが、配られたのはぶどうアイス。しかし格別だった。ウニを食えなかった人が、とれたてのバフンウニを食い、逆にハマるあの現象が、今後ぶどうアイスで自分に起きるかもしれないほどだ。

同様に夜も磐田に勝った。見ていないが。良かった。

目標と結果

  • 5kmの時点で既に目標より遅い。
    • 行くな行くなとは言うものの、いくら何でも行かなさ過ぎた。
    • 予想タイムを盛って、前にいる第1ウェーブに入って15分もらうというのはやりたくないが・・・
  • 17km時点で攣るのは早すぎ。
    • 持ち込みのエイドや事前の補給は何も問題ないと思われる。
    • そもそも20km1本しかやらなかったのでは、筋持久力が足りていなさそう。
    • この日の42kmがロング走となり、次走以降に繋がっていけばよいか。
  • 脚が死んでも9分台前半を維持したのが勝因。
    • ロングウォークは3本くらいやってるのでそのおかげだね。

動画

youtu.be

タイム


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来年どうするの?

出るか。今度こそ5.5h。