新しいダイアリー(5)

北海道コンサドーレ札幌と釣り

俺達の西大伍!

この日が来るのをずっと待っていた。

以下、ポエム。

2003

実は「西大伍選手」を始めて生で見たのは、2007年10月のアウェイ愛媛戦ではなく、2003年に「負けると昇格がなくなる湘南戦でソダン大作戦が9分で終了、1-2で敗れた」次の日のこと*1

サテライトリーグの鹿島戦であった。

(確か)U18の試合が丸被りしていて、1・2年生がベンチ入りしていた。

https://www.antlers.co.jp/games/2003/js_0928.html

この試合だ。(池内退場・・・(笑))

野沢にPKを決められたが市村のゴールで追いついた後の出場。手の甲の綺麗さから、年齢がかなり若い選手であることを思わせた。

5分程度の出場時間ながら、ドリブルでPA角からの突破を試みる姿が印象的であった。

藤田征也のことは知っていたし、実際この後トップチームで天皇杯に出場して活躍したのだが、西大伍のことはU-15の大会でいいところまで行ったらしい、という程度しか知らなかった。この日の印象も「覚えておくか」くらいのこと。

2005

2年後、U-18が高円宮杯で決勝進出し、60分ディレイ放送ながら日テレ系で中継されると判明。トップチームは池内が10点以上取りながら、守備は放棄といっていいレベルで数字上の昇格可能性が消え失せていたころだったと思う。天皇杯はアマチュアに負けた。

多分受験勉強していたころだが、トップチームより面白そうだし、模試を捨てて視聴した記憶がある。

結果は、先制こそしたものの逆転され惜しくも準優勝。10番藤田は評判通り「縦の突破&高精度・高速のクロスボール」という感じの選手であった。トップチームは前年度限りで市村が退団した右サイドに、岡田を使ったり加賀を使ったりで今ひとつ。藤田はすぐ試合に絡んでくるだろうという印象だった。

もう1人強烈な印象を残したのが8番西大伍だった。藤田と逆側のサイドでオーソドックスな攻撃的MFとして振る舞うかと思いきや、ボランチ・FWとポジションチェンジを繰り返し、ビルドアップに参加したと思ったら前線に飛び出しているといった感じの運動量(単純な走行距離というより、ボールに顔を出す驚異的なサッカーセンス)。

西大伍もトップ昇格もあるか?いや手薄なDFの佐々木健将かな?という感想。

12月になってからのことだった気がするが、藤田ともう1人昇格が発表されたのは西大伍であった。

2007

西大伍は2006年に出場機会を得られず、2007年も三浦監督による身長優先の人選で出場機会を得られなかったが、チームの調子の低下にあわせ、岡本賢明とともに台頭した。

函館で行われた愛媛戦で決勝ゴールかと思いきや、ゴールライン上でクリアされる惜しい場面も。今思うと、この直後にヴィトーリア留学させた意味が分からん。相川を放出して西谷は怪我、前目の選手層がなくなってるのに。

結局留学は早期に終了し、帰国直後のこれまた愛媛戦(条件によっては昇格決定の可能性もあった)で終了間際の決勝ゴール。秘密兵器西の名は一瞬でJ2界隈に広まった。

鳥栖戦では負けたものの中盤でボールキープ力を見せ、京都戦では終盤のPK被弾で追いつかれたものの藤田出場停止を補って余りある活躍、最終戦の水戸戦ではヘディングでダヴィの同点ゴールをアシストした。

トップ昇格は間違いなく成功だ!

2008

思い出したくないシーズンの1つでありながらも、忘れたくないのは西大伍(とダヴィクライトン)の活躍。西大伍は左右のサイドか、スタメンの中山元気の脚が潰れたら西がFWに上がることも、といった感じ。この頃には前年までに感じた線の細さとは無縁になっていて、純粋な運動量と守備強度でスタメンを勝ち取っていた。

身もふたもない言い方をすると「スペースに出してダヴィを走らせるか、拾ったセットプレーで決めるか」しか攻め手がない中で、西の3ゴールはいずれも別路線を感じさせたものであった(1点目はカウンターだけどダヴィがCKのストーンをやっていたので前線に飛び出していったのはダヴィではなく西だった)。

2009

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岡山戦2ゴールを決めヒーローインタビュー

https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=12183

08年終了後、他チームの接触くらいはあったと思うが、J2降格しても札幌に残留し、4-2-3-1のトップ下をはじめ、3-5-2に変化したときの2トップ、退場者が出てスクランブルだったとはいえ3バックの中央、4-1-4-1のトップ下2枚の片方、右サイドバックと様々なポジションを歴任した。7ゴールも挙げた。

この年の末に「J1行けるなら行け」と半ば突き放すようなコメント(そのくせに、退任時には主力を毎年売られて困ったとか言い出す)をした石崎監督にはかなりの恨みがあるのだが、西のポリバレントなところ、特に後方に置いた時のセンスを見出したのは大功績。

20ゴール近くとったFWキリノ、元韓国代表のDF趙、元コロンビア代表のMFダニルソン、後に東欧のチームでCLに出るトップ下ハファエル、そしてどこでもできるようになって41試合7ゴールの西がいながら昇格に失敗したのは本当にもったいなかった。

この年を最後に西はチームの成長を追い越していった。

2010~18(名前を出したくないチームと、鹿島時代)

2012年に昇格したとき、もしかしたら帰ってきてくれるかもと思ったものの、前年に代表入りも果たした西は強化費5億ちょいの木っ端チームに戻ってくるはずもなかった。特に、アウェイ鹿島での西大伍との初対決は、0‐7の完敗。完全に「あちら側の選手になった」と印象を持ったものだ。

その後、鹿島のキャンプ開始に間に合わず内部で処分を受けたり、J1の夏休みに帰省ついでに札幌の練習に参加(札幌が「親」すぎる・・・(笑))したりしたものの、復帰のフの字もないまま札幌は札幌で小野伸二稲本潤一でフィーバー。

鹿島は2012年以降、11位→5位→3位→5位と推移し、2016年は総合3位ながらも1stステージ優勝→チャンピオンシップで優勝しクラブW杯に進出した。

ここで西大伍は右SBでフル出場。

www.jleague.jp

決勝ではマルセロとマッチアップし互角の戦いを見せ、王者に肉薄(モドリッチがちゃんと退場になっていたら鹿島が勝っていたはず)。代表にはなかなか縁がないものの、確実にスターダムを登っていった。

2017年に5度目の1部リーグにチャレンジした札幌にとって、石井と怪我がちのマセードでやっていた右、堀米の抜けた左という両サイドは補強ポイントかに見えたが、西は到底手が出せない存在だった(もちろん石井・マセード・菅と、加入した早坂と、夏に復帰した石川も素晴らしかったが)。相変わらず復帰のフの字もない。

しかし、札幌も初秋にはサッカー番組の残留争いのコーナーに登場しなくなり、数試合残してJ1残留を決め、翌年には1・2位と大きく離れていながらも4位に躍進するなど、だんだん成長していく。

この頃から私は「札幌が成長した証」として「かつて若くして送り出さざるを得なかった生え抜き選手の帰還」を強く求めるようになった。

吉原はもういないし、山瀬・今野は年老いてしまった。今なら1年分の移籍金くらいなら出すチームになっている。奈良か、やはり西大伍が必要だ。

2019~20(神戸時代)

それだけに、前年札幌より下の順位だった神戸に移籍するというのは承服しかねる気持ちがあった。

(チーム順位のわりに契約条件がシビアな鹿島より、さらなる年俸アップ+イニエスタとのプレー機会を望むものとして理解できる。)

この頃CFのリターンで一緒に釣りをして、私はすっかり個人ファンとなった。この時、それとなく秋波を出しておいたのが、現在効いているのだとしたらこの上なく嬉しい。

神戸はチームとして評判倒れ気味で、ボール保持時間の長さのわりに、ゲームの方向感はなく、たくさん失点している。クソ判定もあったが松本にすら負けている。実際、釣りをした翌日に監督解任が発表されている。

よそのチームの試合なんて見なければいいだけなのだが、札幌の試合と被っていない神戸の試合は見る習慣がついたせいで、失点シーンで西が追走する姿が映るたびに、神戸サポーターにスケープゴートにされているような感じがして気分が悪かった。

GWのホーム神戸戦では、西の狡猾なプレー(VARあったらどうだったか?)で神戸がPK、先制されるも、進藤と鈴木のゴールで逆転勝ちした。札幌としては西のいるチームに初めて勝ったことになった。8月アウェイ神戸戦では、菅と中野の頑張りで西のサイドは何とか互角に対応し、ジェイの同点ゴール(VARあったらどうだったか?)と宮澤の逆転ゴールでまたも勝利。ほらやっぱり札幌の方が、と言いたくなってくる。

ただ、西は神戸でも天皇杯優勝をもってACLに進出させた。古巣鹿島との決勝戦では、幅をとって鹿島の4バックを間延びさせ、結果的に古橋のゴールを導くような活躍。ACLは体力的に辛いと言いながらも、結果的に所属チームをACLに連れて行ってしまうのは、やはり何か持っているということだ。

翌年秋が深まった頃、この世でも最低レベルの信憑性であるサッカーマガジンの移籍動向に、西大伍は札幌関係者と接触あり、移籍濃厚と出た。神戸は19年の14勝15敗から、20年は9勝16敗と大きくブレーキ(その神戸に2敗する札幌って)だった。まあフロントが編成をやり直したい、選手側は環境を変えたい、と思うのも納得できる。

もちろん記事を信じてはいないのだが、西の札幌復帰の意志は元から信じていたので、せめてスポーツ新聞に載らないものかと待ち侘びて、最終戦で浦和をボコボコにした。

しかし、その翌週に浦和移籍の報道。ほとんど即日と言っていいレベルで正式発表されてしまった。(しかも後日、奈良も鹿島から放出されて福岡と。)

何故誰も彼も札幌より下のチームに行ってしまうんだ?札幌はまだ何か足りないのか?

2021(浦和)

初出場まで数試合が経過してしまったが、西大伍は戦術的な引き出しを増やすためにリカルド・ロドリゲスを選んだのだと確信した。

ポジショナルプレーというやつだろうか?サイドバックの位置でキックオフを迎えるのだが、ボールを待つ位置はタッチライン際の最後尾とは限らない。明本や小泉、伊藤、岩波らとの位置関係によって臨機応変にマークが来なく、かつ相手にとって嫌なところに顔を出している。

浦和対徳島が象徴的だ。リカルドの手の内を知る徳島が浦和のビルドアップを封じていたが、30分過ぎの西の「気付き」以降、状況が一変した。2005年の高円宮杯で見せた8番のサッカーセンスはこれだと思った。

札幌的には3月の浦和戦で西が怪我により欠場していたこと、8月の浦和戦では連携の取れていない江坂が西大伍と同ラインで使われて、右サイドまるごと機能不全になったことは僥倖としか言いようがなかった。

だが、浦和は同ポジションに酒井を獲得。リカルドは西を他のポジションに回すことなく、ベンチに置くという選択を取る。財界さっぽろ2月号のインタビューでは、サイドバックだけでなく中盤としても期待されていると答えており、本人もそのつもりがあったと思うのだが、そのまま控えとしてシーズンを終えてしまった。

おまけに浦和は、わざわざJ2から馬渡まで獲った。酒井が獲れたので年齢が上の西は用済みだと言わんばかりの行為だ。年をまたいで契約満了による退団が発表されるよりもだいぶ前から、今こそがその時だと確信した。

その後はご存知の通りである。

何よりも自らの意志で札幌とコンタクトを取り、「獲ってくれ」ではなく、練習で成長を見てくれと行動してくれたことが嬉しかった。

・いつでも札幌に戻るタイミングを考えていること

・札幌に経験を還元したいということ

・選手として能力を出せる間に戻ること

長旅の途中に何度か語っていたこれらのコメントはリップサービスではなかったのだ。

2022

チームの集合写真で外されたのは肝を冷やしたものの、無事に契約締結。正式加入が発表された2/4は「にし」にかけているのか、沖縄キャンプ終了前日だからか定かではないが、私の誕生日だ。こんなことってあるのか!

私はちょろい。装飾過多だ、中2が好きそうだなどと言っていたのに、当然のごとくユニフォームを買った。それも1stはオーセンティックでだ。(サイズがあれば3rdもオーセンティックが欲しかった。)

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会員限定イベントなんて少しも興味ないし、ホームゲーム行く気がないから選考入場もいらないのに、ファンクラブは特典をつけて継続することにした(というより、馬渡の浦和移籍あたりで確信をもったので、継続処理をしないで待っていた)。

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ホームゲームにも何とか5試合くらい行く気でいる。

基本的には、田中駿汰とポジションを争いつつ、3バックの中央、右ウイングバックボランチで起用されるだろう。

まず第1に、早く札幌の選手として試合に出るところを見たい。まずはもちろん開幕戦だ。1試合しかない2月のルヴァン杯は視聴料削減のために捨てようと思っていたが、出場あるなら当日加入だ。

特に期待するのは、うまくいっていないときに何とかしてくれること。半端ポジションをとって敵の陣形の穴を突いたり、プレスを剥がして前線で数的有利を作れるようなプレーが見たい。いや、何でもいい。とにかく見たい。

フィニッシャーとしても期待。ドウグラスの1000倍ヘディングはうまい。神戸時代のACLでも空中戦で得点している。

単なるサイドの選手じゃないけど、やはり右サイドでも違いを見せてほしい。

早く見たい。見せろよ。魅せろよ俺達を躍らせろ。*2

普段は精神負担の軽減のためサッカーが開幕しなきゃいい、サッカーのない土日が好きだ等と言っているが、今年はいま開幕してもいい気持ちがある。札幌の西大伍がそうさせたのだ。

*1:小学生の西大伍君、なら1x8いこうよでたまたま見た。釣~りんぐ北海道からの流れで。

*2:チャントを新しく作るなら「帰ってきてくれた」成分を混ぜ込んでほしい。