新しいダイアリー(5)

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劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語 感想

まずは私が見たまんまのストーリーが正しいものなのか確認したい。

・まど・マミ・さや・杏がナイトメアと戦う世界が示される
・ほむは5人目として登場
・ほむは違和感を抱く
・ほむは杏と一緒に見滝原町が魔女の結界内であることを確認
・ほむ「まどかよって世界は救われたはずなのに」→ようやく正統後継作品であることが確認される
・ほむ、マミさんのパートナー=魔女シャルロッテを思い出す
・ほむVSマミ
・ほむ「そもそもまどかを知ってるのはワイだけだったはずや!ワイがこの結界を作った魔女やんけ!」
・ほむ、力を使い果たして魔女化し死ぬことを選択
・QB、喋れる
・ほむはQBらによる円環の理(=まど)から隔離され、ソウルジェムを真っ黒にする実験中
・(結果的には)自分の世界に創りだしたまど・マミ・さや・杏の激しい抵抗
・QB、畜生発言連発
・さやかちゃん宇佐美貴史ばりの大活躍
・マミさん、マミらない
・さやか(となぎさ)は、円環の理から外れた(もしくは神・まどかに仕える存在?)
・現実世界(要するにほむが真っ黒にされる実験中の世界)に舞台が戻る(移る)
・まどか&さやか、ほむほむを救済・・・天に導かれて終わるとおもいきや
・ほむほむ、狸寝入りだった?救済に来たまどかから、人間である部分だけを抜き取り、円環の理(=アルティメット)とまどっち(=鹿目まどか)を分離
・QB「理解できないよ」
・ほむ「愛だろ、愛」
・宇宙、数カ月ぶり2度めの法則書き換え
・畜生暁美、悪魔化を正当化し杏子・さやからを退ける
・「孤独な自由」を優先した畜生暁美、まどかに「正しい秩序による支配」の正当性を主張され、「いずれまどかとも対立することになる」と宣言
・ボロ雑巾になったQB、まだ生きてる

以上の解釈が概ね正しいとして、ここからが私の感想である。基本的には、虚淵玄という作家の特異性や、SHAFTという会社の表現方法の特殊性にはあまり重きを置いていない。

正直言って3部作の最後としては全く納得の行かない終わりであった。ほむほむがまどか愛のあまり発狂し、円環の理から離脱、自から無理やり引き剥がしておきながらまどかをも拒絶し、孤独な自由を選んだ。そういうエンドならそれでいい。しかし、それを許容するにはQBの生存(ボロ雑巾だけど)は納得行かない。孤独を選ぶというなら世界改変を観測した者は他にいらないはず。続編を作る気でいるとしてもちょっと性格が悪すぎる。しかもほむほむ崖から身投げしてやがる(生きてそうだけど)。映画はエンターテイメントであってほしいのが俺。

もっと言うと、ほむほむが力を使い果たして、さやかちゃんと一緒に天に召されればそれが最も美しい形じゃないの。TVでは全くの噛ませ犬だったマミがなぎさをぶん回して魔女ほむの使い魔(みたいなやつ)をばったばったと撃破すれば、杏さやファン垂涎の連携技で魔女をぶちのめし、あわよくば5人全員で助かり、ただの女子中学生に戻るというのがエンターテイメントとして最もよさそうなものじゃないか。

だが、そうはいかない。それは主人公(と言って差し支えないでしょう)ほむほむが、自らの大願を成就させるためには、世界を救うために神になったまどかをどんな手でも取り戻さねばならなかったから。ほむほむは「まどかと一緒にいたい」だけが魔法少女としての自己のレゾンデートル(←この言葉一度使ってみたかった)だった。しかしTV版の6~11話くらいを見ればわかるように、どうやってもワルプルギスを超えられないので、手段と目的を取り違え、まどか(とマミとさやかと杏子)と対立を厭わず戦う道を選び、なおかつ延々と繰り返していった。なるほど、ソウルジェムも濁るわけだ。新ルール(魔女化はしないで円環の理に導かれる)を遮断した状態でソウルジェムを極限まで黒くしたらどうなるのか?そんなもんはどうでもいいからQBお前ちょっと黙ってろよ。今それはどうだっていいんだよ。ようやくほむほむが「まどかと一緒にいたい」というたった1つの願いを思い出して、我欲に正直になって、まどかを取り戻そうとしてるところだろうが。今、相当無理矢理な形ではあるが、素直に戻ったほむほむが、まどかと愛を確かめ合うところだろうがよ・・・

だからこそ、真っ黒になって悪魔になってまで、まどかを取り戻したほむほむに、何の悪意もなく向けられるまどかの「秩序を乱すものへの拒絶」はかわいそうすぎる。あまりの過酷な運命にすっかりスレてしまったのか、まだ事の顛末の記憶が残っている(徐々に消えていくらしい)さやかの忠告を切り捨て、杏子のリンゴは断り、まどかすらも「いずれ敵になる」とバッサリ。しかし、3回めの改変(1回め:TVラストのアルティメットまどか 2回め:この劇場版の前のほむ魔女化)で、そのままの運命なら円環の理から開放されて帰天するところだったさやかを現世に普通の子として蘇らせたのは、ほむほむなりの優しさだったのか?また、ひとりで(30)を迎える予定だったマミにはなぎさ、ぼっち道を皆伝まで極める予定だった杏子にはさやかを与え、自分以外の魔法少女(だった子)は過酷な孤独から解放してあげたとも言える。そういった面では、これまで一緒に魔女や魔獣やナイトメアと戦ってきた仲間へを慈しむ優しさ(?)を身につけたほむらは、最も遅れて「成長」を手にしたのではないか。次のステージでは、ぜひさやかちゃんとも仲良くしてほしい。

繰り返すが、納得のいかない終わり方であった。しかし突き放されたという印象はまるでない。(そもそも、満足の行く結果を求めに映画館に行けるような脚本家ではないだろうから、最初から覚悟はしていた(語らないとは言ったものの、やはり虚淵玄のパーソナリティには触れてしまった・・・)。株主優待のタダ券で見に行ったというある意味心の余裕がある状態だったことも良い方に作用した。)「こういうのを作ってみたけど、どうかな?」とばかりに、満点の笑顔で、ゲテモノ料理を出された感じといえばそれに近いかもしれない。ほむほむ「こういう成長を遂げてみたけど、どうかしら?」うーん納得は行かないが許せるな。

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満たされぬ思いはぬいぐるみにぶつけておいた。