新しいダイアリー(5)

北海道コンサドーレ札幌と釣り

SAN月記

 有名大卒の李徴は博学才穎、20世紀の末年、若くして名を一流企業に連ね、ついで主任に補せられたが、性、狷介、自ら頼むところすこぶる厚く、下流に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく企業を退いた後は、故郷、埼玉に帰臥し、人と交を絶って、ひたすらライフハック記事に耽った。下流となって長く膝を俗悪な上司の前に屈するよりは、ライフハッカーとしての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、かつて内定式にて代表挨拶した頃の豊頬の美少年のおもかげは、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東京へ赴き、一下流SEの職を奉ずることになった。一方、これは、己のブログに半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑え難くなった。一年の後、社用で出張に出、帷子川のほとりに宿った時、遂に発狂した。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近のビブレを捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。
 翌年、プロジェクトマネージャ、陳郡の袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)(えんさん)という者、上司命令を奉じて出張に使いし、途に横浜の地に宿った。次の朝未だ暗い中に出発しようとしたところ、地元ヤンキーが言うことに、これから先の道に人食虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたがよろしいでしょうと。袁は、しかし、出張メンバーの多勢なのを恃み、ヤンキーの言葉を斥けて、出発した。残月の光をたよりに内海橋を通って行った時、果して一匹の猛虎がスタバの中から躍り出た。虎は、あわや袁に躍りかかるかと見えたが、たちまち身を飜して、元のスタバに隠れた。スタバの中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞こえた。その声に袁は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁は李徴と同年に一流企業に入社し、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。
 叢の中からは、暫く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微かな声が時々もれるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は埼玉の李徴である」と。
 袁は恐怖を忘れ、車から下りてスタバに近づき、懐かしげに久闊を叙した。そして、何故スタバから出て来ないのかと問うた。李徴の声が答えて言う。自分は今やノマドとなっている。どうして、おめおめと友の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に畏怖嫌厭の情を起させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも友にあうことを得て、愧赧の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が醜悪な今のワークスタイルを厭わず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。
 後で考えれば不思議だったが、その時、袁は、この超自然の怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。彼は部下に命じて車の進行を停め、自分はスタバの傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂、旧友の消息、袁が現在の地位、それに対する李徴の祝辞。青年時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それらが語られた後、袁は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。スタバの中の声は次のように語った。
 今から一年程前、自分が旅に出て帷子川のほとりに泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中からしきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、いつしか途は雑居ビルに入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手でMacbookAirを攫んで走っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々とオフィスを跳び越えて行った。気が付くと、iPhoneiPadも持っているらしい。少し明るくなってから、帷子川に臨んで姿を映して見ると、既にノマドとなっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直ぐに死を想うた。しかし、その時、眼の前を一杯のキャラメルマキアートが駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中のオフィスワーカーは忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口はホイップにまみれ、あたりには木でできたマドラーが散らばっていた。これがノマ虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、オフィスワーカーの心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、デスクトップも操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、社訓をそらんずることも出来る。その人間の心で、ノマ虎としての己の残虐な行のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤(いきどお)ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうしてノマ虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、ノマドとしての習慣の中にすっかり埋れて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹のノマ虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても友と認めることなく、抹茶クリームフラペチーノを喰うて何の悔も感じないだろう。一体、ノマドでもオフィスワーカーでも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れてしまい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んで置きたいことがある。
 袁はじめ一行は、息をのんで、スタバの中の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。
 他でもない。自分は元来SEとして名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところのプログラム数百篇、もとより、まだ世にリリースされておらぬ。遺プログラムの所在も最早判らなくなっていよう。ところで、その中、今もなおビルドできるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。何も、これによって一人前のSE面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
 袁は部下に命じ、Let's noteを執ってスタバの中の声にしたがって書きとらせた。李徴の声はスタバの中から朗々と響いた。長短およそ3000ステップ、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と。
 旧プログラムを吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲るか如くに言った。
 はずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己のサンプル集が青山のおしゃれなオフィスの机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。一級SEに成りそこなってノマ虎になった哀れな男を。(袁は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐を即席のPGに述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。
(中略)
 時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、このノマドの薄倖を嘆じた。李徴の声は再び続ける。
 何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての神童といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己はプログラムによって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて学友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。ノマ虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、全く、己は、己のもっていた僅かばかりの才能を空費してしまった訳だ。定年までの40年は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己のすべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる会社員となった者が幾らでもいるのだ。ノマ虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。己には最早オフィスワーカーとしての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れたプログラムを作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎にノマ虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。そういう時、己は、向うのビブレに上り、空谷横浜駅西口に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、ジモティどもは己の声を聞いて、唯、懼れ、警察を呼ぶばかり。山も樹も月も露も、一匹のノマ虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、オフィスワーカーだった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。己のiPhoneの濡れたのは、夜露のためばかりではない。
 漸くあたりの暗さが薄らいで来た。ビルの間を伝って、何処どこからか、暁角が哀しげに響き始めた。
 最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(ノマ虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。彼等は未だ東京にいる。固より、己の運命に就いては知る筈がない。君が出張から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖、これに過ぎたるは莫い。
 言終って、スタバから慟哭の声が聞えた。袁もまた涙をうかべ、よろこんで李徴の意にそいたい旨を答えた。李徴の声はしかしたちまち又先刻の自嘲的な調子に戻もどって、言った。
 本当は、まず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しいノマドワーキングの方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。
 そうして、つけくわえて言うことに、袁が出張からの帰途には決してこの道を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていて友を認めずに襲いかかるかも知れないから。又、今別れてから、前方百歩の所にある、あのハンズに上ったら、此方を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
 袁はスタバに向って、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。スタバの中からは、又、堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。袁も幾度かスタバを振返りながら、涙の中に出発した。
 一行がハンズの上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程のビブレを眺めた。たちまち、一匹のノマ虎がスタバから道の上に躍り出たのを彼等は見た。ノマ虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元のスタバに躍り入って、再びその姿を見なかった。

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